| 東遷関連 | ||
| 著者 敬称略 |
題名 | 出版社 |
| 澤田洋太郎 | 天皇家と卑弥呼の系図 | 新泉社 |
| 高木彬光 | 古代天皇の秘密 | 角川書店 |
| 古村豊 | 卑弥呼の道は太陽の道 | |
| 木藪正道 | 日田の宝鏡 | 芸文社 |
| 福本英城 | 記紀が伝える邪馬台国 | 芸文社 |
| 後藤英彦 | 日田こそ卑弥呼の奥津城 | 自費出版 |
| 於保忠峯 | 邪馬壱国と邪馬台国 | 筑紫文庫 |
| 小川隆平 | いわい歌 | 新風舎 |
| 日田を注目する東遷説 |
| 安本美典氏の日田での講演会 久津媛と日田の古代を語る会主催による講演会では、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡の謎についてお話をすこしして頂いた。この鏡の模様は中国の鏡にない模様であると・・。 個人的にはペルシャ系(トルコ?)の模様らしいし、おそらく国内でもこの鉄鏡を複製した可能性を私は考えているし、安本氏の公演後、「季刊邪馬台国では金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は八咫の鏡ではという説まで書かれていたのだ、安本氏も講演会では日田に卑弥呼がいても不思議ではないという話まで・・サービスでもあろうが日田には少しは興味がでてきたのではと思えるシーンだった。最近、日田にはとても冷たかった奥野氏も最近講演会では邪馬台国の領域には日田まで含まれるという変わりようだ。 |
邪馬台国東遷説東遷説から日田を考えた場合には、本来の邪馬台国の中心地は甘木や八女、高良山あたりが妥当な場所であろう。宇佐という説もあるが・・・ 筑後川から太陽信仰を考慮すれば、太陽は日田から昇ってくる、日田の方を見て太陽を信仰してしれば、日田盆地に卑弥呼が居ても不思議はない。『魏志』には、卑弥呼は女王になってから姿を見る事がなくなったと書かれているのも、身を隠したと考えるのが素直ではないだろうか、また、卑弥呼は共立されたのだから北部九州の中心部の日田に強引だけども匿ったと考える方が無難なのかもしれない。 邪馬台国時代の日田は北部九州の首都というか、それは言い過ぎ。首都は甘木とかかな・・・。聖地的場所と言った方が良いのかもしれないですね、卑弥呼の死後から栄えた日田の小迫辻原遺跡は、卑弥呼の宗女「台与」の遺跡であり、それからの東遷として神武が出発したと・・・・日向は日田であるという事実が必要だが・・・。ただ日本書紀によれば景行天皇は浮羽からなぜか突然日向(宮崎)に向かい、その後宇佐へと向かいヤマトへ帰るのだが、実は『豊後国風土記』によれば、浮羽から日田に景行天皇は凱旋し、日田の女王である久津媛(ひさつひめ)と会われている事実は、日田は日向であり、宇佐へと向かったと考える方が素直。宇佐からいきなり宮崎に飛ぶなんて神業としか・・・。続日本紀には、日田は日向と書かれているのも事実。本当の天皇家の発祥地である宮崎であれば景行天皇も、もっと違った違った動きをするに違いないと思う。 最近、邪馬台国なんて何処にあってもいいんじゃないの、それより我がふるさとの歴史文化をいかに伝えていくのが必要であり、後世まで残していけるのかという・・。日田の遺跡や文化財は特にあれ放題なのが事実、ここから見直しをしないとふるさとの発展もないのではないか。 |
