梅澤恵美子先生から(2001/7/24)

日田について 

今まで日田は、邪馬台国論争のなかでほとんど無名であったが、三世紀の考古学的見地から言うと、非常に重要な意味を帯びてきたと思える。
ヤマト(纒向遺跡)と日田(小迫辻原遺跡)は、発達の仕方と西に強いという地理条件がそっくりである。三世紀に突然現れて三世紀半ばに発展、東側から筑紫平野に睨みをきかすには、これ以上の立地条件はない。ここに拠点を持てば、九州勢は北部海岸地帯から退去するしかなかった。
おそらく九州勢(卑弥呼)は、高良山から女山に軍事拠点をつくって対抗したはずである。
三世紀半ばに小迫辻原遺跡が大きくなったのは、その頃トヨが日田の主として君臨し、安定期に入っていたと考えられる。しかもトヨは、ヤマトから派遣され日田に拠点を置いたのではなかったか。
詳細は避けるが、日田のトヨこそが日本の天皇家の祖であって、天皇家は日田で誕生したと言える。
そしてあくまでも伝承に従えば、日田の中心に位置する会所山の麓にある神功皇后の子・応神天皇の誕生遺跡とされる井戸、そここそが天皇家発祥の地ではないかと考えられる。
今後、日田は古代史解明のために、なくてはならない存在となるはずである。